お寺の紹介・歴史
名称 | 檀特山 小松寺 だんとくざん こまつじ |
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宗派 | 真言宗智山派 |
御本尊 | 薬師如来 |
住職 | 大沼 圭真 |
所在地 | 〒295-0013 千葉県南房総市千倉町大貫1057 |
電話 | 0470-44-2502 |
メール | info@komatsuji.jp |
小松寺の歴史
◆文武天皇の御代(683~707年)に役小角〔えんのおづぬ=役行者〕によって小さな庵が建てられる。その庵は、養老2年(718年)に一間四面のお堂に建て替えられ、寺名を『巨松山檀特寺』とする。※本格的な寺院として整備される以前から、山岳修行者の信仰を集める霊地であった。
◆天長8年(831年)慈覚大師により堂塔が建て替えられ、山王権現が祀られる。
◆平安時代前期、火災により寺院が全焼。しばらくは廃墟のままとなる。
◆延喜20年(920年)国司安房守住吉朝臣小松民部正壽(こくし あわのかみ すみよしのあそん こまつみんぶ まさかず)により再建される。
寺名を『檀特山医王院巨松寺』と改められる。七堂伽藍が整い、薬師如来が祀られる。
※七堂伽藍とは、本堂・塔・講堂・鐘楼堂・経蔵・食堂(または中門)・僧坊のことをさす。
◆年を経て次第に衰えてしまうが、承安4年(1174年)中興する。開基第一世玄海。
◆その後、徳川家康より12石7斗、里見義康から53石6斗の寄進をうけ、広い山林と田畑をもつ修行道場ともなり、多くの僧が集う寺院となる。
◆安政元年(1854年)、またしても火災により全焼。
◆現在の小松寺がいつ建て直されたのか、古文章等は残っていないが、本堂正面の龍の彫刻には「安政二丙辰十一月吉日、相州三浦郡浦賀 彫工 後藤忠蔵橘重武」と彫られている。この銘から、安政2年(1855年)に再建されたと考えられる。
◆宗派について
当山は、中世のある時期までは天台宗であったと考えられている。二度の大きな火災によ古文章の記録は残されていないが、天台宗として35代、その後、真言宗に改宗されたと伝えられている。現在は真言宗智山派として49代目の住職が継承している。
南総里見八犬伝 里見氏の財宝伝説
旭さす夕日輝く双樹の下に漆千盃 朱千盃 銭十億万貫埋めておく
非常の際は この財宝用いるべし
と伝えられています。
この財宝はどこに眠っているのでしょう…